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   熊野で筆作りが始まったのは江戸時代末期で当時は、主に農業で生計を立てていましたが、それだけでは生活を支える事ができず、農閑期には紀州方面へ出稼ぎに出ていました。帰りには奈良や大阪で筆や墨を仕入れて、行商しながら熊野に帰っていました。これが熊野と筆を結びつけるきっかけとなり、天保5年佐々木為次は有馬(兵庫県)に行き、筆の作り方を学び、天保9年熊野に帰ってきました。時を同じくして、弘化3年井上治平(井上弥助)は広島の浅野藩御用筆司吉田清蔵より、筆作りの技術を学びました。さらに同じころ、乙丸常太(音丸常太郎)も有馬(兵庫県)より、筆作りの技術を学び、熊野に帰ってきました。そして彼らは人々に技術を広め、筆作りは熊野に根を下ろし始めました。明治に入り学校制度が出来、学校に行く子供が増えると、筆がより多く使われるようになりました。そのため、筆作りをする人が増え、飛躍的に発展しました。しかし、この頃から東京、大阪、奈良などでは、近代産業の発展とともに次第に筆作りが衰え始めました。一方、熊野には新しい産業が入らず、筆作りが地域を支える産業として発展していきました。
   ところが、第二次世界大戦が起こると、原料が入りにくくなり、また、働く人を戦争に取られるなどの理由から、筆作りがほとんど出来なくなりました。戦争が終わって2年後、学校での習字教育がなくなりました。このことは、熊野の筆作りにとって大きな問題で、人々は、この問題を解決するために知恵を出し合いました。そうして、このころ画筆や化粧筆作りに活路を求める人もありました。そのうちに小学校で毛筆習字が許されるようになり、昭和33年には、文部省の学習指導要領に取り入れられ、筆作りに再び希望が持てるようになりました。昭和50年には、熊野の筆産業が、中国地方で最初に伝統的工芸品として指定を受け、平成18年1月には、熊野筆の統一ブランドマークも開発され、熊野で作られた製品である証として、広くPRされています。今や熊野筆は、多く人々からその品質を認められ、世界中で使われております。 


  明治31年当地広島県安芸郡熊野町に創業、4代目として昭和42年毛筆製造販売に従事、主に書道用筆、画筆を平成8年に化粧筆の部門をつくり現在に至っております。 販路として書道用品専門店、文具卸店、百貨店、書道塾、学校にて営業しております。

 代表 渡邉 政博